2021年09月19日(日)

「あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさ い。ここがあの方の納められた所です」マルコ16:6


主が葬られた墓に、女たちが香料を持って来た。すると墓に立てか
けられた大きな石が転がしてあり、墓の中には、主のからだは無か
った。途方に暮れている女たちに、御使いが現われ、主のよみがえ
りを告げた。「ここにはおられません」と。「ここ」とは、墓の中
だ。死人を葬る場所だ。主は、死人の中にはおられないと。死から、
よみがえられたからだ。

私たちは「生きている方を死人の中に捜し」ていないだろうか。あ
たかも、主に何の力も無いかのように、死んだ人であるかのように、
主を横に追いやり、自分が、自分が、と自分の力で信仰生活をやり
くりしていないだろうか。決してうまく行くことがない。

すべてが自分の肩にかかるので、重く苦しいばかりだ。問題、焦り、
いら立ち、思い煩い、不安で、疲れ果ててしまう。まるで主は死ん
でおられるかのようだ。自分が、何もかもやり遂げなければならな
いかのように。墓とは、人が主イエスの遺体を葬った所だ。人が、
主に対して、して差し上げた場所だ。しかし、その所から、よみが
えられた。

もう「ここ」にはおられない。よみがえりとは、主が全主権を握ら
れ、主の支配によって、事がなされる場所だ。今、まさに生きてお
られるので、私たちが主のためにでなく、主が、私たちのためにわ
ざをして下さっている。生きて働いておられるのだから。よみがえ
りの主のいのちは、今日の信仰生活に生き生きと溢れ流れている。
そこには喜びと平安が満ちている。

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すぐに律法に陥ってしまい、〜ねばならないになると、疲れてしま
う。また懸命に頑張って出来ても、自分に栄光を帰してしまう。自
分がしたのだから。一つづつ祈って、主に信頼し、主と共に歩もう。
そこに潤いと喜びが来て、更に主との信頼関係が深められて行く。