2021年12月20日(月)

「あすの心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦は その日その日に、十分あります」マタイ6:34



イスラエルの民はモーセに導かれて、エジプトを出た後、荒野に出
た。主はその厳しい荒野で、民たちを40年間養われた。天からマナ
を降らせられたのだ。毎日その日1日分だけを集めるようにと。そ
の日の分だけだ。6日目だけは2倍集めたるようにと。7日目は安
息日で、集めることができないからだった。

しかし、ある人々は命令を聞かず、欲張って翌日分まで取り込んだ
が、それは虫がわき、悪臭を放った。又、ある人々は6日目に2倍
集めないで、安息日に取りに出た。しかし安息日には、何も見つか
らなかった。主はこの事を通して、「わたしの教えに従って歩むか
どうかを試みられ」たのだった。

40年の間、1日たりともマナの無い日はなく、主は荒野で民を養わ
れ続けた。これは「日ごとの糧」を表わしている。主はその日の必
要を必ず与えて下さる。明日の心配はいっさい無用だ。明日、明後
日の糧を求めよとは言われない。「今日」の糧だ。明日のことは明
日が心配する。今日1日の糧があれば充分だ。明日の心配は不要
だ。

能天気でよいという意味ではなく、主が心配して下さるから、心配
不要なのだ。「あなたがたの思い煩いをいっさい神にゆだねなさ
い。
神が・・心配してくださるからです」。今日、必要な糧が与えられ
ている事を精一杯感謝して、明日は主にいっさいお任せしよう。そ
の時、主はその人を、どんな中であろうと、平安と喜びに守って下
さる。
------------
明日の事がどうなるか私達にはわからなくても、ご誠実な主がおら
れる。主に助けを求めながら、祈りながら今日を精いっぱい生きよ
う。今日与えられてる豊かな恵みを数えよう。