2022年06月19日(日) 「あなたがたがは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺し をするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争った り、戦ったりするのです」ヤコブ4:2
「あなたがたがは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺し をするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争った り、戦ったりするのです」ヤコブ4:2
悲惨な事件、争いが、毎日のように報道で流れる。又、身近なとこ ろでも、いざこざを見る。深刻な事件が起きると、人々はその原因 を究明しようとする。なぜこういう事が起きたのか、幾多の議論が なされる。しかし、聖書によると、争いの原因は、人の内側にあ る「欲望」によるものだと言っている。 「からだの中で戦う欲望が原因」だと。自分の内にある肉の欲が、 争いを引き起こさせ、罪を犯させる。「ほしがっても自分のものに ならないと、人殺しをする」。どこまでも自らの欲望を遂げようと するなら、人を殺しててでも手に入れて行くと。これが国家間であ れば戦争となり、個人的な人間関係なら様々ないざこざとなる。 実際、この世ではこの争いにより、多くの問題が起き、親族間、友 人間、職場、隣近所のもめ事から殺傷事件になっている。この問題 の根が自分のからだの中で戦う欲望、自己中心から来ると。自分が 第一で、自分、自分、どこまでも自分が中心で、自分の欲を満たそ うとする。そこから争いが起きる。 この罪のために、主は十字架にかかり、解決を与えて下さった。ど こまで行っても自己中心にしか生きられない者が、主と共に十字架 につけられたのだと。「私はキリストとともに十字架につけられま した」。この御子を信じる信仰によって生きる時に、主のために生 きようとする、新しい性質、新しい生き方が与えられる。自分で奪 い取るのでなく、主に祈り、主に願い、主が与えて下さる新しい歩 みだ。 ・・・・・・・・・・・・・・ 人は、自分の欲が満たされる時、幸せになれると思ってしまう。自 分の思い通りになる時に、満足が得られると勘違いする。逆で、自 分を捨てて、御心に従う時に幸せと満足、喜びが来る。今日も「主 と共に十字架につけられた」に立って歩みたい。