2022年10月20日(木)

「ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突 然、天からの光が彼を巡り照らした」使徒9:3


主イエスをメシヤと認めないサウロは、激しい殺害の意に燃えて、
クリスチャンをどこまでも迫害し捕らえていた。それこそ神の御心
であり、正しい事だと信じ込んでいた。エルサレムだけでは気が済
まず、遠くダマスコまで追った。

ダマスコに近づいた時に、突然天からの強い光で、彼は地に倒れ
た。そして主の御声を聞いた「なぜ、わたしを迫害するのか」と。
倒れた地面から起き上がった時、目が見えなくなっていた。サウロ
にとって、どんなに衝撃的な出来事だったろう。その後3日間盲目
の状態に置かれた。

飲食もせず真っ暗闇の中で、サウロは今までの事を振り返り、目の
前に起きた事を考え、今後を考え、祈りに祈った事だろう。サウロ
は「地に倒れた」時に、主の御声を聞いた。主がサウロを倒され
て、聞かせられた。私たちは全力疾走の時、どうだろう。周囲の事
は見えず、自分の事も見えない。

私たちが行き詰まり、挫折し、失敗した時に立ち止まる。疾走する
私たちを、主は立ち止まらせようと、挫折、行き詰まりを通され
る。主のご計画があり、大きな祝福へと繋がる。又、今、暗黒状態
なら、主は祈らせたいとのお心だ。

自らを振り返り、現在を見据え、今後につき、祈りに祈ろう。「そ
こで、彼は祈っています」サウロは真剣な祈りの中、アナニヤが遣
わされ、再び見えるようにされた。「目からうろこのような物が落
ち」、私たちも暗黒を通過後、主がはっきりと、鮮明に見えるよう
にして下さる。
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必死で自分を守りながら目的を果たそうと走っている時には、落ち
着いて主に御心を尋ねることもできない。でも主はそのまま放って
おかれない。立ち止まらされることは主のご愛だ。