2023年07月20日(木) 「どうしてそんなにこわがるのです。信仰が無いのは、どうしたこ とです」マルコ4:40
「どうしてそんなにこわがるのです。信仰が無いのは、どうしたこ とです」マルコ4:40
夕刻になって、主は、湖の「向こう岸に渡ろう」と言われた。弟子 たちと共に舟に乗り込まれると、主は疲れのため、とものほうで熟 睡されていた。その途上で大嵐に会い、弟子たちはもう大慌てで、 パニックに陥った。舟は波をかぶり、水で溢れ、このまま行けば沈 没、転覆だ。自分たちは溺れ死んでしまう。 ベテラン漁師の彼らが身の危険を感じたほどだ。しかし主はそんな 中、全き平安の中で何事もないかのように、安心して眠り続けてお られた。弟子たちは「私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思わ れないのか」とすねた屈折した物言いをした。だがそんな彼らのた めに、まず主は「黙れ、静まれ」と風を叱りつけ、湖を静められ た。 主の一言で大なぎになり、弟子たちはびっくりした。その後「信仰 がないのはどうしたことです」と言われ、問題は嵐でなく、不信仰 だと。主は「向こう岸へ渡ろう」と言われ、弟子たちは「おぼれて 死ぬ」と言った。主が言われたからには、途中で何があろうと 100%渡れる。そして主が同乗の舟が、沈む事などこれも100%あり 得ない。 嵐の問題でなく、御言葉を信じられない不信仰が問題だった。嵐の 中でこそ、「向こう岸へ渡ろう」との御言葉を握り、信じているべ きであった。状況でなく、御言葉を信じない事が問題だ。目の前の 状況に飲み込まれ、主と御言葉が飛んでしまっているだろうか。主 の言葉に目を留め続けていよう。そのように祈ろう。 ------------- 問題が起きると平安をくださいと祈るが、すぐに波風を見ては怖れ る。主は聞いておられないのだろうかとまた祈る。自分がどこを見 ているかに気づきたい。向こう岸に渡ろうとの主の御約束を握って いよう。