2024年07月20日(土)

「イエスは答えて言われた。『この水を飲む者はだれでも、また 渇きます』」ヨハネ4:13



サマリヤの女性は、カンカン照りの昼間に井戸水を汲みに来て
いた。女性たちは皆、普通は涼しい夕方に井戸に来て談笑を楽
しんだ。しかし彼女は人目を避けての事だった。主は彼女に、水
を求められた。男性から話すのは異例の事で、それに、サマリ
ヤ人とユダヤ人は敵対関係だった。

そして主は、ご自身こそが生ける水を与え、真の心の満たしを
与えると言われた。新聞に、ある女性の投稿があった。毎日〃
同じ電車に乗り、同じ机に座り、同じ仕事をし、心が虚しくてたま
らず、結婚を求めた。結婚を夢に見、心満たされると信じた。しか
し満たされる事なく、次には子どもを求めた。子どもさえ持てば満
たされるのではと。

しかし子どもができると、毎日〃の育児に疲れ果てた。家で息が
詰まり、外に出たいと切に願った。仕事を得て、外に出て、息を
吹き返したと思った。しかしそこでも毎日同じ事の繰り返しで、虚
しく心は決して満たされない。仕事帰りの夕暮れ、屋台が並び、
これはどこかで見た光景と思うと、若い時の帰宅時の光景だった。
一周回って同じ所に戻っているではないか。自分は一体何をして
いるのか、というものだった。

主は、「この水を飲む者はだれでも、また渇く」と。世のものは、
決して私たちの心を満たすことができない。ますます渇くばかりだ。
主が「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがな
い」と言われ、サマリヤの女性はその水を求め、主から虚無から
の救いを頂いた。主に求めよう。決して渇かない水を、真に心満
たされ、喜びが与えられる水を与えて下さる。

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喜びや心の満たしを求めて、世のものを求めると、結果的には、
必ず裏切られる。決して満たされることがないだけでなく、更に
渇いて行く。主の言葉の通りだ。主ご自身を求めよう。心の
渇きをご存じで、求めを喜ばれ、必ず満たして下さる。