2024年08月20日(火) 「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とと もに、みな捨て去りなさい・・神がキリストにおいてあなたがたを赦 してくださったように、互いに赦し合いなさい」エペソ4:31
「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とと もに、みな捨て去りなさい・・神がキリストにおいてあなたがたを赦 してくださったように、互いに赦し合いなさい」エペソ4:31
ある人が、職場でどうしても受け入れられない、難しい相手がい た。何かと言葉にトゲがあり、傷ついた。出来るだけ避けて、接触 したくなかった。仕事上のイライラがあると、ぶつけて来た。嫌 な、嫌いな相手だった。トラブルを起こしたくないので、ひたすら 我慢していた。 その相手が部署替えとなり、場所的に、もう顔を合わせる事が無く なった。解放感に安堵した。だが少しして気づかされた。もう顔を 合わせる事も無いのに、自分の心が縛られている事に。恨みと憎し みが、根深く心の奥にあり、消えないのだ。ふっと思いに来ては、 心が暗く沈んだ。目の前にいないのに、心はがんじがらめだった。 平安が無く、余りに苦しいので、主の御前に行き、心を打ち明けて 祈った。祈る中で示されたのが、恨みと赦せない思いだった。自我 が握って決して放そうとしない。憎んでいたい、自分の罪だった。 それが平安を奪っていた。人を憎むのは、誰でもなく、自分が苦し い。余りに辛くてたまらず、主の御前に罪を悔い改めた。 大嫌いな相手を赦す決心をした。すると不思議だが、自分の心が変 えられた。自分には出来ない、御霊の力だった。平安が戻った。今 度は真の解放感と安堵が静かに心に広がった。人を赦すことは、御 霊にしか出来ない。そして真に自由にして下さる。まず主のもとに 行き、ありのままの心を打ち明けよう。必ず導いて下さり、平安を 返して下さる。 -------------- 何度も人にされた悪を思い出し憎んでいるとき、肉の自分が喜んで いるのを感じる。そこを認めて悔い改めよう。主が赦し、解放して くださる。自分には出来ないが、主がさせてくださる。