2024年09月19日(木)

「私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であ ることを行ないました」詩篇51:4



ダビデは、主に従っていた素晴らしい信仰者だった。しかし、バテ
シバとの姦淫の罪を犯してしまった。すぐに悔い改めれば良かった
のだが、罪を隠ぺいするために、バテシバの夫ウリヤを殺害すると
いう、罪の上に、更に罪を重ねてしまった。王であり、すべて自分
の思うがままであり、口をつぐんでいた。

しかし主は、何もかもを見通しておられる。預言者ナタンを遣わし、
ナタンによって、ダビデの罪を真っすぐに指摘された。その時にダ
ビデは、即座に「私は主に対して罪を犯した」と認め、悔い改めた
のだ。すると「主もまた、あなたの罪を見過ごして下さった」とダ
ビデの罪は赦された。

サウル王は、口先だけの悔い改めだったが、ダビデは真実に悔い改
めた。ダビデの素晴らしいところであった。「私はあなたに、ただ
あなたに、罪を犯し、悪であることを行なった」と。そして主は
「砕かれた、悔いた心をさげすまれない」と。ダビデは、自分が蒔
いたものを刈り取って行く。

バテシバとの子どもが病気になり、切に祈り、断食し一晩中、地に
伏した。どんなに痛み苦しんだ事だろう。しかし亡くなった時に、
彼は起き上がり、主を礼拝した。ウリヤを殺したが、その命がどん
なものかを、身をもって知った。

子どもたちが姦淫を犯し、実子は自分に敵対し、苦しく辛い刈り取
りをして行った。ダビデは残る生涯、悔い改め〃、主に従順に従っ
た。失敗してしまうが、人生何もかも終わったのではない。悔い改
めて、主により前に進んで行ける。
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主の前に罪を認めるというのは、その刈り取りも謙遜に受け入れて
いく事ではないだろうか。何度も失敗し、罪を犯すしかない者が、
主の赦しで前に進める。主がその刈り取りも祝福してくださると信
じよう。