2024年10月20日(日)

「また、ヘロデはヨハネの教えを聞くとき、非常に当惑しながらも、 喜んで耳を傾けていた」マルコ6:20



ヘロデ王は、ヨハネを正しい人と恐れ、保護し、教えを聞いていた。
だが、ヘロデの誕生日の祝宴で、ヘロデヤの娘が踊りを踊った
ので喜び、何でも欲しい物を与えると誓った。娘の願いが「ヨハネ
の首」だった。すると、ヨハネを殺してしまった。なぜこんな事に、
なってしまったのだろう。

「王は非常に心を痛めたが・・人々の手前もあって」と、ヘロデは
ヨハネを正しいと知りつつ、人目を気にして、人の手前、ヨハネを
殺害した。ヨハネの語る教えを聞くも、自分の体面を保つために、
ヨハネを抹殺してしまう。ヘロデは、ただ神の言葉を喜んで聞くだ
けで、御言葉に真剣に応答し、悔い改める事は無かった。

又、神の言葉に従い、方向変換するという事が無かった。彼は
トップで権力があり、娘の間違った願いを退ける事ができた。
だが、娘の言う事に従ってしまった。ヘロデは神を恐れず、人を
恐れた。体面が最優先だった。私たちは、どうだろう。人の目に、
自分が思う以上に囚われているものだ。人を恐れると罠にかか
り、事を大きく誤って行く。

人への恐れは、根深く培われていて、気づきから始まる。ヘロ
デはヨハネの言葉を喜んでいたが、悔い改める事はなく、従う事
も無かった。どんなに聞いても、従わないなら、実を結ぶ事がない。
ピラトも主が正しいとわかっていたのに、保身のために、優柔不
断で、主を十字架に追いやった。御霊の示しに一歩一歩と従う
時に、必ず実を結んで行く。目の前の示しに従えるよう祈ろう。

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人が気になり、人への恐れは根深くあるものだ。御言葉よりも、
目に見える相手に、良い人に見られたい。嫌われたくない。そ
うすると、御霊に示された御言葉も捨ててしまう。弱さを認めて
ありのまま、主の助けを求めて祈ろう。従えるよう助けて下さる。