2024年11月19日(火)

「イエスは・・ピリポに言われた『どこからパンを買って来て、この 人々に食べさせようか』」ヨハネ6:5



男性だけで五千人の群衆に、主はピリポに、彼らにどのようにパン
を食べさせようかと問われた。ピリポは、頭で計算して、手持ちの
金では到底不足で、無理ですと答えた。所持金と大勢の群衆、目に
見たところで、不可能だと結論を出した。どうだろう。ピリポは、
見えるところだけで判断し、そこには主が抜け落ちていた。

見えるところは絶対に無理で、不可能だが、主になら、どうだろう。
主に不可能だろうか。自分には出来ないが、主には出来る、これが
信仰だ。「人にはできないことが、神にはできる」。主は、その信
仰を求められた。なぜなら、主はすでに、何をするかを決めておら
れたからだ。「しようとしていることを知っておられた」。

詩篇記者は、軍力の大きさによっては救われない、人は力の強さに
はよらない、軍馬も軍勢も救いにはならないと言う。通常、戦争に
勝つには、兵力だ。百人対一万人なら、一万人が勝つだろう。とこ
ろが詩篇記者は、兵力は救いにならない、救いは主によると。主に
信頼し、主の指示に従って戦う時に、勝利を得る。

私たちはどうだろう。現実生活においては、兵力の多い少ないがす
べてだろうか。ピリポのように、見える所で決めつけているだろう
か。目の前の困難、問題、悩みに、見える所を見て、失望落胆して
いるだろうか。主が抜け落ちていないだろうか。今、あるがまま、
そのままの気持ちを、まず祈りに持って行こう。信仰を与えて、導
いて下さる。主は、しようとされている事があり、すでに決めてお
られる。
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初めは困難だと思われていた問題が、主によって勝利に終わった経
験はないだろうか。目の前の状態はネガティブに働くが、主と共に
超えていける。主を信じて祈ろう。