2025年02月17日(月) 「王は言った。『あれは自分の家に引きこもっていなければならな い。私の顔を見ることはならぬ。』それでアブシャロムは家にひき こもり、王の顔を見なかった」Uサムエル14:24
「王は言った。『あれは自分の家に引きこもっていなければならな い。私の顔を見ることはならぬ。』それでアブシャロムは家にひき こもり、王の顔を見なかった」Uサムエル14:24
王の前に出られないアブシャロムは、ヨアブに仲立ちを頼もうと、 二度使いを送るが、ヨアブは動かない。それでアブシャロムはヨア ブの畑に火を放つ。自己中心で、自分の事しか考えられない。ヨア ブはダビデ王に執り成し、ダビデは息子に会った。アブシャロムは ダビデ王の前に出てひれ伏し、王は彼に口づけした。 しかしそれは表面的な和解だけだった。何の解決にもならなかった。 ダビデは、再び迎え入れた息子に、尚も裏切られて行く。息子は巧 妙に狡猾に民に働きかけ、父ダビデに反乱を起こす。しかし結果的 にダビデの軍に破れ、アブシャロムは死ぬ事になる。ダビデは、ア ムノンを殺したアブシャロムを赦せなかった事で、結局二人の息子 を亡くしてしまった。 ダビデは表面上、息子を迎え入れ、赦した形に見える。しかし、し ばしば私たちもそうかも知れない。「主よ。赦して下さい。しかし この心は見逃し、そっとしておいて下さい。このままでいたいので す」自分は赦して欲しいが、恨みと赦せない思いで、赦したくない 心は手放さない。何とも矛盾しているが、肉の姿の現実だ。 息子の心も、ますます歪み頑なになってしまった。罪は、更に罪を 生んで行く。息子と戦えず、泣きながらひたすら逃げたダビデだっ たのだが。しかし主のご計画の中で、悲しみ、痛み、苦しみが、ダ ビデの砕きと訓練とされて、ダビデは造り変えられて行った。主の 愛は変わらず、主の憐れみは尽きることがない。 ----------- 表面ではつくろっていても、心の中にはまだ裁く思いや憎しみが来 るなら、赦せない事を認めて本音で主に向かいたい。心にあるもの は、いつか表に出る。主の前に祈ろう。主が助けてくださる。