2025年03月20日(木)

「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それは あなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退け たのであるから」Tサムエル8:7


イスラエルの国は、直接、主によって治められていた。しかし民は、
周囲の国々のように人間の王を求めた。サムエルは老齢であり、息
子たちは主に従っていない。もし敵の攻撃があっても、目に見える
王がいれば戦ってくれる、そのため王が欲しいと。サムエルは、そ
れが気に入らなかったが、まず祈りに持って行った。

私たちも気に入らない事柄も、まず主のもとに持って行く事が大切
だ。民が、人間の王を欲した時に、主は「彼らを治めているこのわ
たしを退けた」と言われた。そして王の持つ権利を知らせよと。
サムエルは、ことごとく民にどんな犠牲を払うかを告げた。息子は
戦いに取られ、娘たちは働かされ、民の畑は取り上げられ、王の家
来たちのものとなる。

そして自分たちの選んだ王のゆえに、主に求めても、その日、主は
答えて下さらないと。極めて厳しい事だ。しかしそれでも尚、民は
どうしても王が欲しいと言い張った。すると主は、彼らに一人の王
を立てよと言われた。人が、主の警告を無視し、どうしても欲しい
と主張するなら、主は与えられる。厳粛な事だ。しかし願いが叶え
られるが、人はやせ衰えると。

「そこで、主は彼らにその願うところを与え、また彼らに病を送っ
てやせ衰えさせた」詩106:15喜び無く、心は辛く虚しくなる。
自分の欲望を貫くのでなく、私たちを愛し、最善を備えて下さって
いる主に従う事が、どんなに幸いで喜びと平安の道だろう。それは
主の愛から出ているからだ。今、もし主の警告があれば、従えるよ
う祈ろう。
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自分の思いが強く、御心をと祈りながら、何度大きく逸れてしまっ
た事だろう。主を悲しませ、祝福のないものを手にしても虚しい。
間違っているなら教えてくださいの姿勢で主に明け渡したい。