2025年06月19日(木)

「彼らはイエスに答えて、『わかりません。』と言った・・『わたし も、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話す まい』」マタイ21:27




主が宮で教えておられた時、祭司長、長老たちが「何の権威による
のか」と言い、誰が権威を授けたのか、越権行為だと。特権階級の
彼らは、主に脅威を感じていた。その前に、主は、宮で売り買いす
る人々を追い出し、両替人の台や鳩売りの腰掛けをひっくり返され
た。彼らは、自分達こそが、教える権威と資格があると思うので、
主に詰め寄った。

主は、その質問には答えず、逆に問われた「ヨハネのバプテスマは
天からか、それとも人からか」。彼らは互いに論じた。もし「天か
ら」と言えば、そのヨハネ本人が、神から遣わされたと、証しして
いるのに、なぜ信じないのか。又、彼が指し示す主をなぜ信じない
のか、となる。

又、もし「人から」と言えば、群衆はヨハネを神からの預言者だと
認めており、群衆が恐い。それで彼らは「わからない」と逃げた。
わからないのではなく、天から遣わされたヨハネも、主も、信じな
いし、決して認めたくなかった。彼らのプライド、保身だろうか。
彼らが答えないので、主も答えられない。

誠実に、正直に、主に向き合い、自分に向き合って答えるなら、主
は必ず答えて下さる。自らの罪と、プライドと保身と、欲も、主に
ありのまま告げる時、真理へと、必ず導いて下さる。逃げるなら、
主がわからないまま終わってしまう。私たちの態度はどうだろう。
気づきが与えられるように。
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罪や弱さに向き合わず、わかりませんと言いつつ歩むことも出来る
が、何も変わらない。示され、気づかされるのは感謝だ。本音で主
に向き合い、主との交わりを深めよう。