2025年07月20日(日)

「この時代は何にたとえたらよいでしょう。市場にすわって いる子どもたちのようです。彼らは、ほかの子どもたちに 呼びかけて・・笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった・・」 マタイ11:16



人が、相手をさばくのは、相手が自分の思い通りでないか
らだと言われる。自分の思うようにならないから、相手をさ
ばき、非難する。つまりは自己中心によるものだと。主は、
当時の人々を、遊びをする子どもに例えられた。子どもたち
は、一緒に遊ぼうと他の子に呼びかけた。まず笛を吹いて
「結婚式」の遊びをし、楽しげに踊ったが、誰も相手にしない。

それで次に「葬式」の遊びをした。これにも誰も乗ってこなか
った。このように当時の人々は、バプテスマのヨハネが、荒
野でいなごと野蜜で生活していると、「悪霊につかれている」
と言い、そして主が、取税人や遊女の友となり、罪人と宴会
の席についていると、「食いしんぼうの大酒飲み」だと、「罪
人の仲間」だと言った。

結局、主が何をしても批判し、非難した。つまりは、自分たち
の正しさを誇るばかりだった。相手を正しく見て、受け入れよ
うとの思いなど皆無だった。その時に、主は、「知恵の正しい
ことは、その行ないが証明します」と言われた。必ず主の正し
さは、その行ないによって証明されて行くと。

そして「そのすべての子どもたちが証明する」と。クリスチャン
たちが証明して行く。私たちが悔い改めて、御言葉を聞き、
自分の思いでなく、御言葉に従って行く時に、主の正しさが私
たちを通して、証明されて行く。

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人々は、ああ言えば、こう言う、で御言葉を聞いても、受け入れ
ず、応じなかった。もし私たちが、主の言葉を聞いて、受け入れ
御霊に助けられ、従う時、主の正しさが証明されるとは、何と
嬉しい事だろう。