2025年08月20日(水)

「私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです」詩編39:7


ダビデは、非常なる苦しみの中で「なぜ、自分はこんな目に会うのか」
との思いでいっぱいだった。だが、口で、言葉で、罪を犯してはいけな
いと、口には口輪をはめた。しかし、口には出さないが、心に抑え込ん
でいるだけで、その苦しみは無くなるのでなく、そこにあり続ける。それ
で痛みは更に激しくなり、今にも爆発しそうだった。そこで、人にではな
く、主に思いの丈を吐き出した。気持ちを洗いざらい告げた。

人生は、いかにはかなく虚しいかと。どんなに盛んでも、結局は虚しい
ではないかと。そんな虚しい人生で、自分は、何を待ち望めがばよい
のか。窮地の祈りで、見上げた時に、主を見い出した。「私は何を待ち
望みましょう。私の望み、それはあなたです」と。私の望みは、主ご自
身だと。何もかもを祈った後、「私は黙し口を開きません」と言った。

今度は、罪を犯すから口を閉じたのでなく「あなたがそうなさったから」
と、主を認めたからだ。前と違い、信仰に立った。すべての事に主の
主権を認め、ご計画を認め、それらを受け入れた。人からの苦しみも、
主からのものと、信仰で受け止めた。苦しみの中も、そこに主を認め
る時、「あなたのむち」「あなたの手に打たれ」と、信仰で、受け止めて
行ける。

するとそこには無為、無駄はなく、意味があり、むちも、打たれる事も、
祝福へと導かれて行く。今、起きている事を、「あなたがそうなさった
から」と受け止めて行こう。その時、「私の望み、それはあなたです」と、
信仰により主に向いて行ける。そして一歩〃信仰の成長へと導かれる。

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証しに悪くなってはいけないと、不満を、言いたい事を押し黙り、口に
口輪をはめる。しかし抑え込んでいるだけだ。そうでなく、その思いを
ありのまま主に告げよう。そうする時、「私の望み、それはあなたです」
に導かれる。そして状況に主を認める時、見方が変えられて行く。