2001年02月15日(木) 「私の主であるキリスト.イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています」 (ピリピ3:8)
「私の主であるキリスト.イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています」 (ピリピ3:8)
ある男性が自動車事故に遭い、九死に一生を得た。 重症だった。長い期間後遺症で苦しんだ。家を売り、 貯金もすべて使い果たした。後に彼はこう言った 「ホームレスの保護施設に座り、残った夢と持ち物の 残りを見ていた。キリストがかたわらに立たれ、 囁かれた『私が残った物を手に取り、かつて 夢見ていたより遥かに良いものを建て上げよう』」 大きな損失を経験する時こそ、キリストが現実のお方 となる時だ。自分でも、もうどうにも出来ない無力な状況 だ。パウロはダマスコ途上で神に打たれた。 目が見えなくなって初めて、先祖から受け継いだものが 無意味であると気づいた。しかし、その損失のゆえに、 イエスが救い主であると個人的に知れた。人生で、日常で、 大きな損失、大切なものを失う時は、キリストがすべてである と知る時だ。あなたがすべてを明け渡す時、キリストは あなたのすべてとなってくださる。