2026年09月19日(土)

「天に上げられる日が近づいて来たころ、イエス は、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向 けられた」ルカ9:51



ドラマで、正義のヒーローが出て来て、極悪人を
懲らしめると、見ていてスッキリする。気持ちが良
い。主がエルサレムに向かおうと、十字架の決
意を固め、御顔をまっすぐに向けられた。サマリ
ヤを通過するが、宿泊か食糧か、準備のため使
いを先に送られた。しかしユダヤに反目するサマ
リヤでは、主を受け入れず、協力もしなかった。

その時、弟子たちが「私たちが天から火を呼び
下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言った。
義憤に思ったか、敵は裁かれてしかるべきだと。
ところが、主は彼らを戒められた。人の思いと神
のみ思いは大きく異なる。主がエルサレムに向
かわれるのは、多くの苦しみを受け、十字架に
かかるためだ。

神のあり方を捨てられ、ご自分を無にして仕え、
自分を卑しくし、すべての罪を身に引き受け、贖
いを成し遂げるため、御父に徹底して従われる
ためだ。しかし、弟子たちにはわからず、理解で
きず、その前には、この中で誰が一番偉いかと
議論していた。主は一番小さな者が一番偉いのだ
と、諭された。

主がまっすぐ御顔をエルサレムに向けられたよう
に、私たちの進む道も、十字架の道だ。自分の肉
を遂げるのでなく、自分を捨て、自分の肉の思い
でなく、主の御心に歩む道だ。御霊に導かれた新
しい道だ。肉はあらがう。自我は強固だ。しかし御
霊に助けられ、主に従う時、主とひとつだ。何にも
代えられない喜びと平安がある。

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古い性質はどこまでも強固だ。サタンは、強力に
肉へと誘惑する。自分の思いを遂げたい。しかし
御霊の助けがある。祈ろう。祈りは聞かれ、御霊
の方を選んで行ける。