2003年10月18日(土) 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マルコ8:34)
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マルコ8:34)
○○は私の十字架だ、と言ういいかたがあるが、 「自分の十字架を負い、そしてわたしについて 来なさい」とはどういう意味なのだろう。 自分の重荷を自分が負うことか。 主の言われる十字架を負うとは、自分の思いを 捨て、自我に死に、神のみこころに従って行く ことだ。自分の思いを通すのでなく、神の御旨 を選び取り、それを行って行く事だ。 これは相手がこうであれば、ああであれば、と の思いを捨てることだ。非難されたり嘲られた り、悪く言われても甘んじて受ける事だ。 相手を受け入れ、状況を受け入れる時、そこに 平安がある。戦いと葛藤が終わり、平安を得る。 十字架を負って従う事が真に平安の道だ。 私達の思いを捨てて、神の御旨に従おう。