2004年02月18日(水)

「ですから、私は、キリストのために、弱さ、屈辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです」(Uコリント12:10)

弱さこそが、神がご自身の御力を現す事の出来る土壌だ。だから、パウロは自分の弱さを誇ると言った。弱さの中で神に拠り頼む時、その弱さが主の臨在でおおわれるということだ。何という恵みだろう。だから、弱さは何の障害でも問題でもない。神の力が働く大きな恵みだ。それゆえ、私達のする事は、神の御声に応答し、従う事だ。それがすべてだ。自らの力量は何の問題もない。どんなに不完全で、弱くて、何の取柄もない者であっても、何の問題もない。神はすべてご存知で召し出しておられる。必要な力はすべて神から来る。今、新しい領域に前進するように導かれているか。神は用いて下さる。勇気を出して一歩前に進もう。