2004年09月18日(土)

「御国の言葉を聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです」(マタイ13:19)

道ばたの固い土地に種が落ちると、はじき返す。土地とは心だ。御言葉を聞く時は、心が開いていないなら無益だという事。心に自分の思い、偏見、既成概念があるなら、はじき返して入らない。半分は語る側の責任であり、後の半分は聞く側の責任だ。聞く態度のある心に、種が落ちる時にのみ結実する。心閉ざした聞き手には、誰であっても語るすべがない。種が心に植わらない限り、結実は不可能だ。御言葉を心に受け入れない限り、まず救われようがない。が、救われた私達は日々御言葉をどのように聞いているか。都合の良い御言葉を選び取って、耳の痛い言葉は退けているか。耳をふさいで聞こうとしないか。それなら道ばたと同じだ。自我がますます固くなり、成長は決して無い。もし成長したいなら、どんなに痛くとも、心砕いて御言葉をしっかり受け止めることだ。
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快い、都合の良い御言葉を選び、自分の思いを通して行くなら、自我をますます増長させる。痛い御言葉こそ、聞く必要のある御言葉。痛いという事は何か心にあるという事。だから痛い、聞きたくない。痛い言葉にしっかり耳を傾け、向き合おう。光で照らされ、きよめられて成長して行く。