2005年02月16日(水)

「見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からもちりを除くことができます」(マタイ7:4)

私達は皆、人の欠点はすぐに目につく、よく見えるものだ。すぐにさばく。しかし、相手の間違いを裁くのではなく、自分の思い通りではないから裁く場合が多くはないか。自分の思い、価値観、自分の色メガネで相手を見る。どこまでも自分中心。それが梁だ。決して相手を正しく見ることは出来ない。自分の中に偏見がある。偏狭な価値観で見ている。自分の見方が間違っていないか。常に自己吟味し、御霊に導かれるなら、ありのまま見えるようにされる。いつも御霊の光に照らされ「悪いのは私です。私の罪です」と自らの罪を認め、悔い改める人は、人のちりを除くために用いられる人だ。目はちょっと触れられそうになるだけで、すぐ閉じる鋭敏な器管だ。人のちりを扱おうなど、不用意には出来ない。デリケートな事だ。まず自分が主の御前に充分祈り整えられて、初めて用いられる。
・・・・・・・・・・・・・・・
肉は自分は棚上げで、すぐ人をさばく。異物が来るとすぐ閉じる敏感な目だ。自分の量りで、触れようとするなら相手は即、心を閉じる。人のちりを取るなど大変な仕事だ。へりくだってまず自分がくまなく御霊に照らされ、自分が取り扱われるなら、ちゃんと見えて用いられるかも知れない。