2005年03月20日(日) 「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容・・このようなものを禁ずる律法はありません」(ガラテヤ5:22)
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容・・このようなものを禁ずる律法はありません」(ガラテヤ5:22)
人は真理がわかったから信じるというのでは ない。多くの人は教えを理解しても信じない。 それゆえ、議論は無意味であり、何の益もな い。議論で人を捕らえる事は決して出来ない。 これはよく経験するところだ。議論で勝って 相手を負かしても、その人を神から去らせて しまうだろう。議論はすべきではない。議論 ではなく「証し」をするのだ。どんなに喜び があり、平安であり、嬉しいかを語れば良い。 それらを禁ずる律法は無いのだから、彼らは 誰一人それを否定する事が出来ない。なぜな ら彼らの内には絶対に無いものだから。証し には大きな力がある。自分自身が御言葉を生 きる事によって、自分自身が日々喜びを経験 する。それが力強い証しとなるのだ。御言葉 に従うなら、自分自身も周囲にも豊かな実を 結んで行く。 ・・・・・・・・・・・・・ 議論は自分を正しいとし、相手を打ち負かそ うとする。自分を正しいとする事に、決して 神は働かれないので、何の証しにもならない。 相手を更に神から離してしまうだけだ。自分 自身が御言葉を生きる事が、真の証しだ。