2005年11月19日(土) 「どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています」(詩篇119:97)
「どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています」(詩篇119:97)
詩篇記者は御言葉を愛した。私達も御 言葉を愛するためにどうすれば良いの か。とにかく御言葉に向かう事だ。御言 葉は、祈りでなければわからない。少しで も時間があれば祈って、御言葉を聞こう。 御言葉は命であり霊であり愛だ。御言葉 に主の心があり、お心に触れる。一言 語られるなら、生きて行ける。心新たにさ れる。御言葉を放さず、反すうし、自分 の思いとして行くのだ。古い価値観を御 言葉に置き換えて行く。その作業を繰り 返し、繰り返し行い、御言葉による新し い価値観に入れ替える。そうするなら、 思いや、発想が変えられて行く。突発事 態が起きた時、すべての事は感謝、益と される、ご計画がある、脱出の道がある ・・価値観が少しづつ変えられている事 に気づく。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 御言葉を愛しているだろうか。大好きな最愛 の人からの手紙はどうだろう。どんな心で読 むだろう。御言葉は神からの手紙だ。字づらで なく神の心がそこにある。自分の心の態度が 問題だ。求めて祈り心で、御言葉に向かうなら、 神のお心に触れる。