2006年04月19日(水) 「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」(ヘブル11:1)
「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」(ヘブル11:1)
あなたが家族や友人と待ち合わせを した時、約束の時間に来なかったら どうだろう。嘘つきだ、愛を信じれ ないなどと不信感を持つだろうか。 まず何か急な事情が出来たと思わな いだろうか。それは相手を信じてい るからだ。ましてや、完全な愛で愛 していて下さる神をなぜ疑うのだろ う。ある少女の祖母が誕生日に人形 を贈ると約束していた。誕生日が過 ぎたが届かなかった。母親はきっと 忘れたのだと言ったが、少女は、祖 母は忘れていない、絶対に届くと言 い張った。3日後に届いた。良いも のが無くてあちこち捜しに捜し回っ て遅れてごめんねとの手紙と共に。 忘れたのでなく、その間もその事の ために労し続けていたのだ。人間で すら約束を果たすのに、神がされな いわけがない。神は約束を実現され る。「もし遅くなってもそれを待て。 それは必ず来る。遅れることはない」 神を信じて待とう。 ・・・・・・・・・・・ 神は約束を下さる。信仰とは約束を 信じる事だ。目に見える状況と目に 見えない御言葉による約束が、常に 目の前に交錯するが、約束して下さっ たお方の極みまでの愛と真実にしっ かり思いを馳せよう。