2006年05月19日(金)

「すると、兄はおこって、家にはいろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた」ルカ15:28


この世では、出来る事、
能力がある事が良い事と
の価値観だ。常に結果を
出せの世界で、結果を出
して初めて認められる。
受け入れ、愛される。
しかし、神は無条件だ。
実は、肉はそんな神が嫌
なのだ。肉はどこまでも
自分の力を誇り、評価を
求め、認められたい。
それが何も無しで、受け
入れられるなど割に合わ
ない。クリスチャンでも、
神の愛がなかなかわから
ない。それは、私達が「
弟」でなく「兄」だから
だ。納得が行かないのだ。
腹さえ立つ。実際のとこ
ろ、私達は自分が強く、
何でも出来るので、神の
あわれみなど必要として
いない。隠れたプライド
は自分の無力など認めた
くない。だから神の愛が
わからない。様々な事態
で、窮地の中で、自らの
全くの無力、罪深さ、醜
さ、貧しさ、それを知る
事が幸いで大きな祝福だ。
その時、神の愛を知る。
あわれみを真に知る。
落ち込む必要はない。
無力や弱さは祝福の門口
だ。
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自分がいかに小さく無力
な者か、繰り返す失敗を
通し示される。その度ご
とに神様に触れ砕かれて
行く。自力で完璧な兄に
ならず、恵みに感謝し続
ける者になろう。