2007年02月15日(木)

「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています」ローマ7:18




アダムとエバは善悪の知識の
木から食べ、善と悪がわかる
ようになったが、善を行う力
は無い。それは、善悪が「わ
かる」だけで、善に生きる事
はできないし、神のようにも
ならなかった。サタンの大嘘
だ。善の知識があるだけで、
自分の内に善が住んでいない
ので、善は無い、行う事が出
来ない。頑張るが出来ない。
頑張れば善を行えると頑張る
が、善が住んでいないので無
理だ。善をしたいと言う願い
があるが、実行不可能だ。善
が住んでいないところの私達
が、頑張ってする、善とは偽
だ。善が住んでいないのだか
ら、真の善は不可能だ。だか
らこそ、御父は御子キリスト
を与えて下さった。どれだけ
頑張っても、善は行なえない
事を認め、ギブアップする事
だ。自分の内に善が無い事を
知った人だけが、初めて主に
頼る。それ以前には決して主
に頼る事など出来ない。必ず
自分に頼っているからだ。何
とか頑張れば出来ると思って
いる。肉は、生まれつきの自
分は、どこまでも自分の能力
を誇りたいし、認められたい。
そこそこの無力は認めるが、
どん底まで完全無力は、余り
にも惨めで認められない。
プライドゆえだ。しかし、徹
底無力を認めた時に初めて、
十字架の血潮が自分のためで
あり、完全に赦され、血潮に
おおわれている実感を得る。
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頼りにならない自分を認める
事が出来るのが恵みだ。弱く
一時も霊的に立っておれない
自分を認める時、主の十字架
の憐みが感謝に思える。一つ
一つ無力を示され、いつも自
覚しておられますように。