2007年03月18日(日)

「ああ。エフライムの酔いどれの誇りとする冠、その美しい飾りのしぼんでゆく花。これは、酔いつぶれた者たちの肥えた谷の頂にある」イザヤ28:1

エフライムは、「肥えた谷」肥沃な地
を持っていて「誇りとする冠」非常に
高慢になっていた。酒に酔いつぶれな
がら、自分を誇り自慢していた。神は
その酔いどれの誇りとする冠を踏みに
じるために、アッシリヤを送られた。私
達も同様だ。神の恵みを忘れ、自力
で得たかのように高慢になる。神に栄
光を帰すのでなく、自分が奪い「誇
りとする冠」にしてしまう。そんな時、神
は私達にもアッシリヤを、砕きの御手
を送られる。今、痛い事、辛い事態
が来ていたら、へりくだって自らを探ろう。
神の恵みを横取りして、自分の手
柄にしていないか。神はしばしば、様
々な事態を送り高慢を砕いて下さる。
それは神の愛だ。放っておかれたら、
私達はすぐに天狗になって、あたかも
自分の功績のように思い、神から離
れてしまう。思うようにならない状況、
事態は感謝な事だ。不平不満はお
門違いだ。へりくだって神のお心を悟
ろう。過去を振り返るなら、思い通り
にならない事態が、どんなに感謝で恵
みであったか、高慢から守られたか誰
しも知るだろう。
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アッシリヤしか見えていないだろうか。
それを送って阻まれているのは神だ。
自らの高慢に気づいて、力強い御手
の下にへりくだろう。