2007年07月20日(金)

「ダビデの時代に、三年間引き続いてききんがあった。そこでダビデが主のみこころを伺うと、主は仰せられた・・」Uサムエル21:1



ダビデは3年に及ぶ飢饉に見舞わ
れた。ここでダビデから学ぶ事が
できるのは、何とかして下さい、
どうにかして下さい、救って下さ
い、の祈りではなくて、「みここ
ろを伺」ったのだ。なぜこうなっ
ているのか、主のお心を求めた。
とにかく、目の前の苦しみが取り
除かれる事ではなく、何が原因か
に目を向けた。そのような祈りに
「主は仰せられた」、主は答えて
下さったのだ。サウルがギブオン
人に犯した罪の償いをするよう、
主が臨まれたのだ。ダビデは主に
従い、ギブオン人達に向き合い、
償うには何をすればよいのかと尋
ねた。そして、ダビデは彼らの言
う通りに応答した。すると「その
後、神はこの国の祈りに心を動か
された」。自分の罪を知り、向き
合おうとする真実な心を、神は見
て下さる。そして心から謝罪し、
償おうとする態度を喜ばれ、解決
を与えて下さる。罪をそのままに
していないだろうか。罪は祈りを
遮断する。「あなたがたのとがが、
神との仕切りとなり、聞いてくだ
さらない・・」罪を放っておいては
ならない。神との交わりが妨げら
れる。悔い改め、必要なら償おう。
目の前に様々な事態が起こるが、
主に御心を求めて行こう。お心が
あり、従う時に、神の栄光が現れ
る。
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神様はいたずらに私たちを翻弄さ
れるのではない。みな意味がある。
日々、出会う事がらに意味を問う
て行けるのは、なんと幸いな人生
だろう。豊かな神様との交わりを
持とう。