2008年03月20日(木)

「わたしがしていることは、今はあなたがたにはわからないが、あとでわかるようになります」ヨハネ13:7


ある人に、厳しい試練が臨んだ。突如
の事で理解もできず、辛さと悲しみの
中を通った。しかし、しばらくして、
その人の口から「あれは、あれで良か
ったと心底思えるんです」との言葉が
出た。「良かった」と言える。頭の理
屈では理解できないが、霊の中では
納得できるのだ。不思議な感覚だ。そ
の人が主から十分な慰めを受けたゆえ
だった。理屈を超越して、心に納得が
行ってしまうのだ。又、ある高齢者は
「若い時にはわからなかった事が、こ
の歳になって初めてわかります」と。
「痛みや苦しみを通り、なぜ?なぜ?
でしたが、今、パズルがつながり、恐
るべき高慢から守られるためであった
と、はっきり答えがわかります。あれ
が無ければ、高慢なまま、どんなに恐
ろしい事になっていたか、本当に感謝
しかありません」。様々な人から「苦
しみに会ったことは、私にとってしあ
わせでした」との証しを耳にする。神
に真に向き合うようにされ、拠りすが
る者とされ、叫び祈る者とされた。砕
かれ、虚飾をはぎ取られ、恵みに目が
開かれた。苦しみによってしか、得ら
れないものがある。又、ある種のもの
は、天に帰って初めてわかる。天では、
何もかもをはっきりと見て、理解でき
るので、賛美しかない。すべてが賛美
となる。それまでは「信仰」だ。
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苦しみを通して神様に出会えた。そし
て、今も痛い所を通りながら思い通
りなら、決して知り得なかった神様と
共に生きている。わからなくても、今
も神様が守り支えていて下さっている
事を知っている。