2008年08月10日(日)

「心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばには、あなたがたのたましいを救うことができます」ヤコブ1:21

人は御言葉によって形造られて行く。
御言葉は霊であり、いのちそのものだ。
御言葉が私たちの心の奥深くに響き、
入る時、私たちは新たにされる。御言
葉に霊が宿っているからだ。しかし、
これには条件があり、自由な自発的な
意志のもとでだ。
自由意志が必要だ。ロボットは言う通
りの事をするが、そのものの意志は無
い。自由意志がないのがロボットだ。
神は人格を持っておられ、私たちにも
人格を与えて下さった。その人格を尊
重される。つまり、自由意志を尊重さ
れる。決して強いられる事はない。首
に縄をつけて引かれる事はない。どこ
までも自由意志に任せられる。だから、
御言葉を心に受け入れるかどうかの選
択は、私たちの自由意志に委ねられて
いる。受け入れる事も拒否する事もで
きる。自由だ。御言葉への関わりはこ
の二つしかない。あからさまに拒否は
しないが、聞き流し受け入れないだろ
うか。自分に都合の悪い、痛い御言葉
は心に入れない。密かに心を閉ざして
しまう。聞きたくない。しかし、これ
は拒否と同じだ。自由な自発的な意志
が必要だ。自由意志で、心に自ら受け
取る時、必ず私たちは新しくされる。
変えられる。御言葉にはその力がある。
御言葉には問題無いが、私たちの聞く
態度はどうだろう。あなたにとって聞
きたくない、痛い言葉こそが、あなた
を変えてくれる最も必要な御言葉だ。
・・・・・・・・・
痛い御言葉に向き合おう。うすうす気
づいているその部分だ。気づいている
から避ける。自我に触れ、頑なな部分
に触れている。その所を解き放ち、自
由にし平安にして下さるためだ。逃げ
ないで御霊に心を探って頂こう。