2008年11月19日(水)

「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」詩篇51:17



ダビデは、子供のアブシャロムの謀反によって、王座を追われる。家来達と荒野を逃げ回る。
その時、サウル家のシムイが盛んに呪いの言葉を吐きかけた。

ダビデと家来達に石を投げつけ呪った。「出て行け。血まみれの男、よこしまな者。
主がサウルの家のすべての血をおまえに報いた・・」

アビシャイが、この者を殺す事をダビデに尋ねる。しかし、ダビデは神が呪わせていると、
それを主から出た事と受け止める。

バテシバとの姦淫の末、夫のウリヤを殺害した自らの罪、血まみれの罪を思い、へりくだり、
神を仰ぎ見て耐え忍ぶ。

その後、ダビデは高ぶりの誘惑に陥り、人口調査の罪を犯す。
なぜ、そのような事をとの部下ヨアブの進言にも関わらず、再び罪を犯した。

その罪の結果、イスラエルに3日間の疫病がまんえんし、7万人が死んだ。ダビデの罪ゆえに、
罪の無い7万人もの人々が死んだ。

上に立つ者の罪は、大きな結果を招く事になる。ダビデの生涯には数々の失敗があったに関わらず、ダビデへの選びと召しは失われなかった。

「彼はわたしの心にかなった者で、わたしのこころを余すところなく実行する」と。
それはダビデのへりくだりによった。罪の徹底した悔い改めがあった。
悔い改め、悔い改めて歩もう。それが神の喜ばれるいけにえだ。
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自分は無力で、間違いやすい者である事をいつも覚えて、罪を悔い改め、その度に赦しを
受け取り謙遜に歩んで行きたい。悔いた心をさげすまれないという事は、何という感謝か。