2026年09月16日(水) 「神は柴の中から彼を呼び、「モーセ、モーセ」と 仰せられた。彼は「はい、ここにおります」と答え た」出エジプト3:4
「神は柴の中から彼を呼び、「モーセ、モーセ」と 仰せられた。彼は「はい、ここにおります」と答え た」出エジプト3:4
何も無い荒野で、長年、羊を飼っていたモーセが、突然 主から召しを受ける。「あなたをパロのもとに遣わす」 と。苦難のイスラエルをエジプトから連れ出せと。モー セは、「私が?」「なぜ?」と思ったろう。「私はいっ たい何者なのでしょう。民をエジプトから連れ出さなけ ればならないとは」と。 何で、一介の羊飼いの自分が、そんな大それた事を、と。 モーセはもう80歳で、又、以前王子だった時に、自分こ そはと、民を救出しようとして失敗している。この老人 に今さら何を?今の自分には何の力も無い。能力も地位 も影響力も人脈もない。だが、主は、尻込みするモーセ に「わたしはあなたとともにいる。 これがあなたのためのしるしである」と約束され、たた み込むように説得して行かれる。「わたしがあなたと共 にいる」この事が「しるし」だと。「しるし」とは、証 拠であり、保証だ。これ以上の保証がどこにあろう。神 が共におられる、これが現実であるとは、何と最強であ る事だろう。モーセは、民をエジプトから救い出す事、 これが使命であり、このために生まれて来た。 神はモーセを用いられた。私たちも同様だ。「わたしが あなたを遣わす」の通り、一人〃に神からの使命が与え られている。そのために生まれた。モーセと同様に、自 分は一体何者と思うが「わたしが共にいる」との保証が ある。神が成し遂げられる。神に呼ばれたなら、「はい、 ここにおります」と答えよう。 ------------------ 「私が?」と思う者を主が必要とされるなら、従いたい。 何気ない普通の日常の中で、主が声をかけられる。耳を 澄まして「はい、ここにおります」と応答したい。