2009年05月19日(火)

「ここを去って東に向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ」1列王17:2



エリヤがアハブに雨が降らない事を宣言した後、神はケリテ川に行き、身を隠せと命じられた。カラスによって養うからと。カラスに自分の命の糧がかかっているなど、何と心もとない不安な事だろう。

これはカラスに頼るのでなく、神の御言葉に、神の約束に頼るという訓練だ。
私たちも訓練を受ける。何に頼って生きているのだろう。富か、生活の安定した保障か、人か、健康な身体か。

そうではなく私たちの頼るは神であり、神の約束だ。御言葉を信頼して生きる時、どんな状況の中でも生きて行ける。

又「身を隠せ」から人の目に見えない、密室での神との交わりの大切さを教えられる。
華々しい事、目立つ事、目に見える成功は誰しも大好きだが、人に見えない地道な事は好まない。

根が、見えない地中に張ってこそ豊かな実がなる。大木の根は地中深く張り巡らされている。
隠れた主との交わりこそが、生き生きとした歩みの原動力だ。隠れた所で神の養いがある。

ある人が突然の入院となり、病室でイラ立っていた。今まで懸命に準備した、目前の企画に自分が参与できない事に、神に反抗的になっていると気づかされた。

悔い改めた時に、主との静かな豊かな交わりの日々とされた。心に平安と喜びが満ちた。
ひたすら駆け回っていた毎日、主が幸いな交わりに引き戻して下さった。そして病室で、企画のための祈りの奉仕が出来た。
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静まって神様との交わりを持っているから、人目につかない働きや人に仕えることが出来る。それを支えるのは、目に見えない根の所でしっかりつながっている神様の御言葉だ。