2010年04月18日(日)

「イエスは、ご自身を彼らにお任せにならなかった。なぜなら、イエスはすべての人を知っておられたからであり・・」ヨハネ2:24

多くの人々が主の奇跡を見て、驚嘆し、主を信じたが、主はご自身をお任せにな
らなかった。任せるとは、信用する、委ねる、心を与えるという意味だ。最初の
奇跡をカナで行なわれ、数々の奇跡をされた。それらを見た人々は主を信じた。

しかし、主はしるしを見て信じた人々に、ご自分を委ねられなかった。主はよく
ご存じであった。しるしにより心動かされ信じても、その感動は一時的なものに
過ぎず、感情は必ず冷める。

しるしだけを求めるなら、試練の時に必ずつまずき、離れる。軸が自分にあり、
自分が中心なので、自分に得るものが無いなら離れて行く。主は奇跡をされた時、
必ず御言葉によって行なわれた。主の口から語られる一つ一つの言葉によって、
みわざが成された。

しかし、人々は御言葉より、奇跡に夢中になる。そして、奇跡を見て信じた人々
は、皆、離れ去ってしまった。出エジプトを経験したイスラエルはあれほどの、
神の超自然を見て、すぐに荒野で、つぶやいた。

荒野で奇跡を見続けたに関わらず、結局カナンに入れず、不信仰で滅んでしまっ
た。主を信じるとは、主が語られた御言葉を信じることだ。御霊により語られた
言葉を信じ受け入れ、そして御言葉に従う時、信仰が確かなものとされて行く。

御言葉に従うとは、つまり、自分を捨てることだ。自分を砕いて従って行く時、
その時、主ご自身を知って行ける。

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信仰が自分軸にあるなら、自分に都合良い限りは従って行くが、都合悪くなると
必ず身を引く。得であれば従うが、損になる事に従いはしない。一歩一歩、御言
葉に従うなら、主はどんなにか喜ばれ、主との信頼関係が深められて行く。