2010年06月18日(金)

「散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた」使徒8:4


サウロはステパノ殺害に賛成していた。聖霊に満たされたステパノの見事な鮮やかな力に満ちた証しを目の当たりにして、サウロは憎悪に燃えた。キリストを神と仰ぎ、救い主とする、クリスチャンは天敵以外の何者でもなかった。激しい怒りと敵対心、憎しみを更に刺激され、抹殺の意を固くした。

反面それはサウロの救いの伏線ともなった。ステパノの厳かな殉教の死により、更に迫害は激しさを増し、荒れ狂った。サウロは憎悪に燃えて、教会を次々と荒らし、家々に入って、容赦なく人々を引きずり出し、投獄して行った。そのため信徒たちは四方へ追いやられ散らされて行った。

皆が、散りじりになってしまった。では、この苛酷な迫害で、信徒たちは意気消沈して、気力を失い、教会は壊滅して行ったのか。そうではなかった。あちこちにバラバラになり、散らされた信徒たちは、何と「みことばを宣べながら、巡り歩いた」。結果的に見れば、この迫害による離散によって、返って福音が大々的
に宣べ伝えられる事になってしまった。

信仰の火が消えるどころか、どんどん燃え上がり、福音は四方八方に拡大されて行った。「どうしてこんな事が!」「なぜこんな苦しみが?」見えるところは真っ暗で、負の要素しかないが、神は最善以下は決してされない。神を信じて待ち望もう。今の苦しみが御手により展開し、最善の結果を見る。
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危機的な状況の中、意気消沈してしまうのが当たり前でそれはとても簡単だ。そこをやがて来る大きな祝福の伏線と信仰の目で見て行けたなら結果はどうだろう。信仰生活は、この選択の連続だ。信仰により今の状況に勝利しよう。