2010年08月19日(木)

「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない」ヘブル3:15


カナンに斥候を遣わし、その報告を聞いた。民は強く、巨人達もいて、城壁は大きい。それを聞いた時、イスラエルの民達は恐れて怯え、不信仰に陥った。神が与えるとの約束の地にもかかわらず、不平と不満で一杯でエジプトに帰ろうとまで、言い出した。

主は「いつまで信じないのか、わたしを侮るのか」と、つぶやいた民達は荒野で滅びると告げられた。すると、それを聞いた民達は、「罪を犯した。とにかく言われた所へ行こう」とカナンへ上って行く。モーセは、主が共におられないから、行ってはならないと止めたにも関わらず、上って行って敗北する。

行けと言われれば行かず、行くなと言われれば行く。自分の思いがあるばかりで、御声に従わない。民の姿は、愚かで不従順な自らの姿かも知れない。神に従うために「時」がある。時を逸しては、もう遅い。後から従おうとしても、もう従えない。民達は斥候が戻って来た時に、信仰に立つべきであった。

神の約束に立ち、神を信じカナンへ入って行くべきであった。後悔するが、時すでに遅しであった。神の御声は愛だ。愛による語りかけであり、導きだ。神の愛に応答し、従って行く時、更に神の深い愛を知る。あなたも今、何かの導きを受けているだろうか。御声を聞いているなら、従おう。一歩踏み出すなら、神の愛
を経験して行く。
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毎日は予想もしなかったことの連続だ。そのつど自分の思いに振り回されないよう祈りや御言葉を読む神様と個人的な交わりの時間を大切に守ろう。導きに対してすぐに従える柔らかい心で、いつも神様に目も耳も向けていよう。