2010年10月19日(火)

「神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか」ルカ17:18



10人のらい病人が、主のもとに来た。当時、らい病は汚れた病気との事で、近寄る事は許されず、「私は汚れた者です」と自分で言わなくてはならなかった。病気の苦しみの上に、社会生活の道は閉ざされ、精神的な苦痛があった。主のもとへ来たのは必死な思いであったろう。大声で「どうぞ、あわれんで下さい」と叫
んだ。主はあわれんで、彼らを癒された。癒された10人の内、1人だけが主のもとへ戻り、あとの9人は帰らなかった。

病気が完全に治り、社会に復帰できて、自由に社会生活が送れる。生けるしかばねのようであった彼らから見れば、何と夢のような事だろう。9人は、何とラッキー、万々歳、良かったと、大喜びで世へ帰ってしまった。彼らにとっては飛び切りの幸運であり、偶然の事態であった。そこに神は無かった。

感謝するために戻った1人は、神への感謝と賛美と喜びで一杯だった。そこに神を認め、神を崇めたのだ。一人彼だけに、新しい信仰の人生が始まった。「あなたの信仰が、あなたを直したのです」神の愛に出会い、神の愛の中を生きて行く人生だ。何が肝心なのだろう。病気が治る事だろうか。「世の終わりまでいつも
あなたと共にいる」その幸いな喜びの人生へと招いて下さっている。いつも主と共に生きて行ける事の何という幸い。
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病気が治り、一次的な苦労が消えるだけが幸せではなく、神様に出会いその愛やいつくしみに触れながらこの先、永遠に生きて行ける人生が与えられた。その事が最大の喜びだ。その喜び恵みを、今日も味わいながら歩もう。