2010年11月18日(木)

「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください」詩編139:23

ある人が職場で、上司がワンマンでいつもピリピリし、緊張状態で、張り詰めていた。無理な事を押しつけられ、理不尽な扱いを受けた。とうとうストレスが身体にも来て、限界になり、会社を辞めた。しばらく休養したが、ふつふつと心に、こういう事態を招いた上司への、恨み、憎しみが湧き上がるのであった。どうに
もならなかった。人を憎んで、苦しいのは自分だ。

休養しているのに、心は牢獄にいるように、真っ暗で苦しかった。平安も喜びも無かった。しかし、悪いのは相手であり、自分は悪くないと、自己正当化し続けた。自分は被害者だと言い訳する。憎んで当然だと思いたい。しかし、全く平安は無い。悶々状態だ。

その苦しみは頂点に達し、もう何とかして欲しい。助けを求めて、主の御前に行った。御前で静まり、心の何もかもをさらけ出し、気持ちをぶつけた。その時、相手は相手として、自分が相手を憎む事は、その憎しみは、自分の罪であることを示された。

自らの罪を認め、涙ながらに悔い改めた時、心が軽くなった。憎しみから解放され、重苦しく、暗く、辛かった心に、平安と安堵が臨んだ。心癒された。自分が被害者だと思っている時は、その憎しみは正当化されて気づかない。悪いのは相手であり、自分は全く悪くないと。しかし、裁き、憎んでいる事は紛れもなく自
分の罪だと認める時、心解き放たれ、平安が戻る。
-----------
憎みたいがために、何度も受けた傷を思い起こしては被害者意識を確かめ、囚われてしまう。解放されよう。人の罪はその人のもの。自分は今神様の前にどうあるかを交わりの中で尋ねていこう。主が解放して下さり慰めも主が与えて下さる。