2011年01月19日(水)

「・・この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです」マタイ20:14



この主人は、早朝、9、12、3、5時に労務者を雇った。早朝の者たちとは、きちんと「1デナリ」の契約をした。9時以降は、契約しないで「相当のものを」と言った。そして、夕6時に賃金を支払うが、最後に来た者順にした。1時間しか働かない者が、意外にも「1デナリ」、丸々1日分を貰った。1時間で1
デナリなら、早朝の者はかなりの額を貰えると予想した。

しかし全員が1デナリ。そこで、早朝の者が不当だと文句を言った。しかし、1デナリの契約であり、主人は何も不当ではない。皆に同じようにしてやりたいと、主人の心だ。後の者が分不相応の扱いを受け、後の者が先になり、先の者が後になると。

神は働きに正比例ではなく、分を越えて遙かに良くして下さる「恵み」の世界を現された。実は早朝の者は、形の違う大きな恵みを受けていた。早朝から報酬が確約され、夕刻には糧が手に出来る。家で待つ妻子の喜ぶ姿を思い、1日心平安に働けたのだ。又、主人のために多く働ける事は喜びではないか。

ここから離れると、多く働く者ほど当然とばかりに要求する。私たちの奉仕の態度はどうだろう。5時まで立っていた人々は、家族を思いどんなに不安の中にいた事だろう。この最後の人々を深く憐れまれた。主はこれほど気前の良い方であり、憐れみ深い方だ。このような憐れみが、あなたにも注がれている。
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自分が最後の者であるなら、どれ程深く感謝し、喜んで恵みを受け取って帰ったことだろう。いつも自分が最後の者だと覚えていたい。恵みを正当な報酬として受け取ろうと待っている者ではないだろうか。