2011年02月16日(水)

「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません」エペソ4:26 

   
「怒れ、しかし罪を犯すな」という意味だ。怒りがすべて罪なのではない。正しい怒りがある。主はパリサイ人の偽善に怒り、神殿が商売の場とされている事に怒られた。悪や罪を憎まなくては、神を愛する事は出来ない。神を愛するとは罪を憎む事だ。怒りに二種類あり、正しい怒りと自我から出る怒りがある。

怒りはどう対処すればよいのか。まず自分の怒りを認める事だ。怒っていない振りをしてはいけない。怒っているのに、クリスチャンなのだから、怒りは良くない事と、抑え込み、怒っていない振りをする。自分の怒りを認めない事が往々にしてある。とにかく怒っている事実を認める事だ。自分の怒りを抑え込む事も、爆発させる事もよくない。

感情的なままで人に対応すると、コントロール不能な言葉や態度で相手を深く傷つけ、自分も傷つき、必ず後悔する。まず主に向かおう。その怒りを主に打ち明けよう。御前に静まり、気持ちをことごとく告げる。そしてその怒りの原因を考えてみる。なぜ怒っているのか。自我に、プライドに触れるからか。自分の何に触れるのか。名誉、メンツが損なわれるのか。又は神のため、人のための怒りなのか。

その怒りは、主との交わりの中で、解決に導かれて行く。主と交わる事が大切だ。怒りを放っておき、日暮れまで持っていると、悪魔が足場を得て、些細事が激しい憎しみや恨みにどんどん増幅して行く。主と交わるなら、怒りを捨てる事、赦し赦される事、又必要なら、相手との和解、具体的に導いて下さる。
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怒りを内包しているとサタンはそれを破壊へと導く。人に告げず、溜め込まず、すぐに思いを主に告げよう。肉の怒りなら主が変えてくださる。主に委ねよう。