2011年03月19日(土)

「恐れないで、ただ信じていなさい」マルコ5:36       



私たちも信仰人生で経験するだろうか。「もう手遅れだ」「もう何もかも終わり
だ」ヤイロは死に瀕する娘を、何とか主に助けて頂きたくて、必死の思いで願っ
た。念願叶い、主が足を運んで下さる途上に、邪魔が入った。

そこに、突然長血の女性が現われて、行く手がさえぎられた。主は彼女に対応さ
れた。ヤイロの心はどんなに急いただろう。一刻を争うのに、どんなにやきもき
し、焦った事だろう。愛する娘が絶体絶命の瀬戸際だ。そして、主は、目の前を
女性を癒され、御声をかけておられた時に、使いが来て、娘が亡くなったと告げ
た。

もう手遅れた。今や先生に来てもらう必要は無くなったと。その時、主は間髪を
入れず「恐れないで、ただ信じていなさい」と言葉をかけられた。手遅れではな
い。すべての「時」は主の主権の中にあり、完全な支配の中にある。

「時」も「生き死に」も支配しておられるのは主だ。見えるところでなく「恐れ
るな」「ただ信ぜよ」との御言葉に立つ時、信じた通りになって行く。そして、
受け入れるべき言葉と、聞き流すべき言葉がある。

「お嬢さんは亡くなった。なぜ先生を煩わせる事があろうか」の不信仰な言葉は、
聞き流すべきだ。何でもかんでも、聞いてはならない。肉、サタンの言葉、聞き
流すべき言葉は、受け入れず、流そう。

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くずおれそうな時、不安と恐れの最悪の状態の中で、主は御声をかけて下さる。
いのちの御言葉を与えて下さる。「恐れないで、ただ信じていなさい」に立って
いよう。そして、思い煩いの言葉、サタンの語りかけを拒否し、無視しよう。