2011年04月18日(月)

「この女は自分にできることをしたのです」マルコ14:8


マリヤは香油を、主の頭に注いだ。その香油は300デナリで、1デナリが労働者1日分の給料であり、10ヶ月分だ。大変高価な物であった。すると弟子達は、貧しい人々に施せたのにとマリヤを非難し憤慨した。しかし、主は、マリヤのその行為の意味をわかっておられた。

「わたしのために、りっぱなことをしてくれた」埋葬の準備にと前もって油を塗った。それが、主に油を塗ることの出来る最後の時であった。その後、主は十字架へと向かわれた。そして、週の初めの日の明け方、主のご遺体に香料を塗るために、何人かの女性が墓に行ったが、もう主は復活されて、誰も塗ることができ
なかった。まさにマリヤが塗ったナルドの香油が最後だった。それはどんなに主をお慰めした事だろう。

マリヤは結婚の準備でもある大切な香油は無くしてしまったが、その犠牲の大きな分、心が主に向かった。主によって心満たされ、後悔の無いすがすがしい確信が深められた。献げる事の意味を知り、祝福を味わい、生涯主に献げて生きた。
「時と機会」を逃してはならない。

マリヤはなぜその「時」が的確にわかったのか。御言葉に耳を澄ましていたからだ。私たちも主をお喜ばせするために、御心を知るためにも、日々御言葉に耳を傾ける事がどうしても必要だ。耳を澄ますなら、主の御声が聞こえて来る。そして、自分に出来る事をする機会を知る。
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今何をするべきか、今の状況をどう受け取れば良いのか、聞かなければわからない事ばかりの中で、常に尋ねれば教えてくださる神様がおられることは何と感謝なか。今自分にできることを今日聞いて行こう。