2011年05月19日(木)

「『あなたののろわれたいちじくの木が枯れました』イエスは答えて言われた『神を信じなさい』」マルコ11:21

当時、道に生えた野生のいちじくは自由に食べていた。主がいちじくを食べようとしたのに、実がなかったので、腹を立て、木を枯らしたということではない。いちじくはイスラエルの象徴であった。「この良いいちじくのように、わたしは、良くするために彼らに目をかけ」と。

「葉のほかに何もない」というのは、ユダヤ人への嘆きだった。ユダヤ人の宗教指導者たちが、神が遣わしたメシヤを受け入れない事への警告であり、さばきであった。細かい儀式は、ぎちぎちと執り行うが、その心は神から離れている。枝葉末節にとらわれ大切なものを見失っている。形式はあるが中身がない。葉ばかり茂って実がない。祈りの家が強盗の巣になっている。生きた信仰がない事を教えようとされた。

それゆえ、実を結ぶ信仰について語られた。私たちはどうだろう。実を結んでいるだろうか。変えられて行っているか。実を結ぶために、まず「神を信じなさい」。山とは不動のものだ。動くわけがない。しかし、信じるなら山が動く。主にとり不可能は一つもない。今あなたに必要なものは「信じること」だろうか。

次に「祈ること」理屈でなく、とにかく生活の目の前の一つ一つを主に祈ってみよう。祈りの中で自分が変えられ、実を結んで行く。そして「赦すこと」赦さない心が実を結ぶ事は不可能だ。具体的に赦すべき人を御霊が促しておられるか。
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自分には出来なくても神には出来る。変わりたいとの態度で祈る者の側に神はおられ、必ず頑なな者を変えて行って下さる。外側だけ整え、内側は枯れてないだろうか。内側を整えられたい。確かな木に繋がり養分を余すところなく注いでいただこう。