2011年10月19日(水)

「しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった」マタイ18:33


王がしもべに6000億を貸していた。清算の時が来たが、しもべは返済不能で、懇願するので、王はかわいそうに思い、赦し、借金の6000億を全額免除にした。そのしもべが、自分に100万の借金がある仲間に出会った。彼も返済できず、懇願した。返すから、少し待ってくれと。しかし、しもべは赦さず、仲間を牢に投げ入れた。心を痛めた他の仲間たちは、事の次第を王に報告した。すると、王は怒って、しもべが借金を全額返すまで投獄した。

せっかく免除された借金が、自分に負債のある者を赦さなかったばっかりに、又、返って来た。免除された6000億は、そのままでなく、王が肩代わりし、その負債を負う事になるのだ。何という王のあわれみだろう。測り知れない莫大なあわれみを受けているのに、人をあわれむ事ができない。どこまでも自己中心で、これが人間の姿であり、罪の性質だ。

自分はあわれまれて赦されているのに、人を赦す事ができない。恨みと憎しみを持ったまま生きて行くか。そうではなく、憎しみの牢獄から解放されて、神に喜ばれる道、栄光が現される道へ向かうか。岐路に立っているだろうか。
自分にはできない。しかし、神には不可能は無い。神は赦す力を与えて下さる。このままか、新たに信仰に前進するのか。あなたの選択だ。まず赦せない自分自身の姿を認めて、主に助けを求めて祈ろう。
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主のゆえに罪赦され、今立っておれることに感謝しよう。同じように、あの人のためにも、この人のためにも主は死なれた。赦す方を選ぼう。