2011年11月18日(金) 「肉にある者は神を喜ばせることができません。けれども、もし神の御霊があな たがたのうちに住んでおられるなら・・肉の中にではなく、御霊の中にいるので す」ローマ8:8
「肉にある者は神を喜ばせることができません。けれども、もし神の御霊があな たがたのうちに住んでおられるなら・・肉の中にではなく、御霊の中にいるので す」ローマ8:8
信仰生活で日々経験するところだが、常に目の前に二つの反応がある。御霊の反 応と、肉の反応だ。神は「祈りなさい」と言われるが、肉は「今でなくても、ま た後で」と言う。神は「今、〜をしなさい」というが、肉は「今、したくない。 またいつか、したい時にすればいい」と言う。 神は「思い煩うな。祈りなさい」と言うが、肉は「自分で何とかしなければ」と 焦り、決して思い煩いを手放さず、どんどん落ち込み、最悪のシナリオを描いて 行く。傷つく言葉を言われた時はどうだろう。神は「まず祈れ。わたしを呼べ」 と言われる。しかし肉は「腹が立つ。すぐやり返せ。でなければ相手はつけ上が る。言い返せば、スカッとする」と言う。 神は「すべての事について感謝しなさい」と言い、肉は「この状況で、感謝など 何で出来るのか」と言う。常に肉は御霊に逆らう。御言葉に聞き、導かれなけれ ば、どこへ行くかわからない。自己中心に生きようとし、自我を通そうとする根 深い肉の性質が、自分の内にあることを踏まえて、御霊に拠り頼もう。 「わたしを呼べ」と言われる主に、絶えず絶えず拠り頼み、御言葉を握り、御言 葉に立つ時、神の喜ばれる選択をして行く事ができる。その一つ一つの選択を通 して、主が新しい人を培い、一歩一歩成長させて下さる。今日も祈りつつ歩もう。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 新しい性質と古い性質、いつも自分の前に二つの反応がある。御霊の導きと肉の 反応だ。自分の、肉の思いが強い時、わかっていても、御霊の導きのほうを選べ ない。選ばない自分がいる。そんな時、まず「出来ません」と主を呼ぼう。主は 祈りに答えて助けて下さる。