2012年01月19日(木)

「私は、自分の道を顧みて、あなたのさとしのほうへ私の足を向けました。私は急いで、ためらわずに、あなたの仰せを守りました」詩篇119:57


主に従うためには、御心に従おうとの意識的、選択が必要だ。オートマチックではない。没人格、没個性になるわけではない。足が勝手に動いて行くのではない。意識して、御霊の導きの方を選択し、御霊に拠り頼んで行かなくてはならない。主に拠り頼む必要がある。神が、勝手に私たちを操って従わされるのではない。それなら操り人形であり、ロボットだ。

また、神が代わりに、私たちの意志を無視して、されることもない。決して、私たちの意志を侵害される事はない。詩編記者は自分の道を顧みた。私たちはどうだろう。日々の生活を、自分自身を顧みることは大切だ。日々の忙しさに、流されてしまっているだろうか。主との交わりから遠ざかってしまっているか。何かの示しをなおざりにし、引き延ばし、ぐずぐずしているか。

記者は、主のさとしの方へ「足を向け」た。祈ったのでなく、実際に行動した。今、はっきりと、主の御心がわかっているなら、自分の足を向ける事、具体的に従う事が大切だ。実行しよう。「急いで、ためらわずに」とあるように、ぐずぐずしていると、必ず実行できなくなってしまう。いつしか、御霊の促しが消えてしまう。大きな祝福を逃してしまう。今日、足を向けて、主の仰せを実行しよう。
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主のさとしがわかっているのにぐずぐずしているだろうか。成すべきことがハッキリしているなら迷わず意志を向けよう。次ぎの一歩、その次の一歩は今は見えなくても止まっていてはいけない。恐れず実行しよう。