2012年02月17日(金)

「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます」マタイ19:26


若い金持ちの役人が、主のもとに来た。そして「永遠のいのちを得るためには、どんな良い事をしたらよいのか」と問うた。主はその青年を導くべく、戒めを守るようにと。彼は守っている、まだ何が足らないかと答えた。すると主は、持ち物を売り払って、貧しい人々に施すようにと。

大変な金持ちであった彼は、これを聞くと、主のもとを去ってしまった。人は、富が命であり、富が神であり、富に頼っている。富が幸せを与え、富が将来を保障してくれると信じている。偶像だ。その富に頼ることを止めて、神に頼るなど、人にはできないと言っている。不可能だと。

「だれも、ふたりの主人に仕えることはできない」「神にも仕え、富にも仕えることはできない」宝のある所に心があり、宝と心はピッタリと一つであり、富が宝であれば、心はそこにある。神には無い。それゆえ、その心は喜びがなく、虚しく、心配と不安、思い煩いは消える事がない。

富への信頼を止めて、神に信頼する事は、人にはできない。しかし、「神にはどんなことでもできます」。富ではなく、神に頼って生きることは、人間のわざでは不可能であり、奇跡だ。あるがまま主のもとへ行き、できない事を認め、主の助けを仰ごう。どんな事でもできる主が、「神の国とその義をまず第一に求め」ることができるよう助けて下さる。
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神以外の物を宝としていくつも持っている。捨てることなど自分ではできない。しかし自分には期待できなくても、神様に期待する事はできる。できないとあきらめて去るのではなく、主がその力を与えて下さることを信じよう。