2012年09月16日(日)

「彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そ こはマラと呼ばれた」出エジプト15:23


イスラエルの民がエジプトを出て、紅海を渡り、三日間荒野を歩いた。水が無か
った。マラに来たが、そこの水は苦くて飲めなかった。すると、民はモーセに不
平不満をぶつけた。「何を飲めば良いのか!」と。「モーセは主に叫んだ」、
モーセは、民の不満に対応する前に、まず主に祈った。

その時、一本の木を示されたので、水に投げた。すると水は甘くなった。民は偉
大な奇跡により、出エジプトを果たしたすぐ後、荒野で出くわしたのは苦い水だ
った。私たちも「マラ」に遭遇する。順調に日々を送っている中で、突如、「マ
ラ」に出くわす。経済的困窮、対人関係の悩み、仕事上の失敗・・。

主が与えたものであり、主が解決して下さる。モーセは、民の不平に対応せず、
まず主に祈った。祈った時に解決方法を示された。私たちも問題が来た時に、動
く前に、何よりもまず「祈り」が一番だ。祈りにより、主が解決の糸口を与えら
れる。

まず主に叫ぼう。又、一本の木とは主の十字架であり、主ご自身だ。困難な問題
の中に、主が来て下さると、苦きが、甘いものに変わる。

ある人は、対人関係で、赦せない思いに苦しんだ。自分が辛く苦しくてたまらな
い。主のもとに行き、心の内を洗いざらい告げ、自分では不可能であり、しかし、
この「マラ」を助けて欲しいと、叫んだ。祈る中で心に奇跡が起き、相手が良く
してくれた一つ〃が思われた。そして赦す事ができた。

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心の苦みはどうすることもできない。憎しみ、敵対心、裁き、妬み・・自分では
どうにもならない。一本の木、十字架のもとへ行く時、必ず変えられる。御霊の
力により、奇跡が起きる。赦し、感謝、平安に心が変えられる。