2012年11月18日(日)

「あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分 の心で自分を窮屈にしているのです」Uコリント6:12


「自分で自分を窮屈にする」と言っている。窮屈とは、心にゆとり
なく、狭くして行くことだ。それは人からされるのでなく、自分で
していると。

それは、自分の間違い、罪を認めず、そのままにしていると、心が
固くなり、閉ざされて行くことだ。心が閉ざされると、御言葉が入
らなくなり、ネガティブな思い、肉の思いで心が支配されてしまう。

「おのれを閉ざす者は自分の欲望のままに求め、すべてのすぐれた
知性と仲たがいする」の通りで、自分の思いにだけ向かう。肉は、
罪を決して認めようとはしない。

例えば、人から指摘を受けた時はどうだろう。ムッとし、カチンと
来るだろうか。又、即、弁解や言い訳が出るだろうか。そこに何か
が潜んでいるということだ。

又、人が賞賛された時はどうだろう。ザラつく心があるだろうか。
心に何かを感じる時、それは、そこに何か認めたくないものがある。
妬みや、プライド、虚栄だろうか。心探ってみよう。もし心に何も
無ければ、ザラつきはない。平安だ。

ある人が、親友が褒められる時、心がザラッとする事に気づいた。
その心を、気持ちをあるがまま、主に祈った。すると自分の心の奧
に妬みを示された。最初からあったものだが、相手は親友であり、
決して認めたくない。無意識にも、無い事にして、おおい隠してい
たものだった。
主の御前に心底悔い改めた。心がすっきりして、平安になった。内
側を光で照らし、自分で窮屈にしている心を自由にして下さる。主
に心の内を告げよう。
・・・・・・・・・・
うすうす気づいている事があるなら、主の御前に出て、心の内を打
ち開けよう。うすうす気づいているのは、向き合って認めたくない
のかも知れない。プライドに触れるのか、虚栄心か、主は取り扱い、
辛い心を解き放って下さる。