2012年12月19日(水)

「たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう」Uサムエル16:13


シムイという男がダビデに石を投げ、ダビデを呪い、ウリヤ殺害の罪を罵倒した。「血まみれの男、よこしまな者」と。「首をはねさせて下さい」という部下に「放っておけ。彼に呪わせよ。主が命じられたのだから」と、ダビデは報復を許さなかった。神からの懲らしめ、神からの訓練と受け止め、甘んじて受け入れたのだ。「私の身から出た私の子さえ、私の命を狙っている」、シムイどころか、今や実子のアブシャロムすら自分に敵対している。それゆえシムイの呪いも、神から出たものと受け取っている。

何とへりくだった心と態度だろう。ダビデは、肉の価値観ではなく、信仰によって生きていた。「今日の呪いに代えて、幸せを報いて下さる」、どのような悲惨な状況の中でも、状況を変えようともがくのでなく、神の前に、正しい心で、神に適った心でいるなら、それをも主が良い事のための計らいとして下さる。ヨセフの「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを良いことのための計らい」とされた通りだ。

相手の悪意すらも、あなたのために益として祝福と変えて下さる。あなたの目の前のその事態を「神がされた」「神から出ている」と受け取る時、誰もあなたを損なう事はできず、誰もあなたを害する事は出来ない。あなたはキリストのかたちへと変えられつつ、成長して行くばかりだ。
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目の前から来る状況に肉のまま反応し、悪意の肉に染まってしまわず、神を軸として受け止め、御心にかなった態度で接して行きたい。人の価値観に反応しない主の香りを放って今日も歩もう。